
プライベートの意味を「私的な」くらいにしか思っていなかった当時の私には謎の題名でしたが、兵士のことだと知ってからは、物語の深刻さが理解できました。
この映画自体すでに18年も前の作品になってしまいましたが、前回とりあげたマネー・ピット(The Money Pit)でもタッグを組んでいたスティーブン・スピルバーグ監督とトム・ハンクス主演という組み合わせでした。
さすがに12年も経っているので、マネー・ピットの頃のようにドタバタコメディで騒ぐなんてとんでもない!
重厚な人間ドラマや、人間の真実の姿を残酷なまでにリアルな表現で追及しています。それまで娯楽作品が多いと思われていたスピルバーグが、シリアスな内容でアカデミー監督賞を初受賞した作品でもあります。
公開された当時はまだ子供が小さかったので映画館に行けず、DVDで見ましたが、戦闘シーンのあまりのリアルさに、ショックを受けた覚えがあります。
それまでは考えられなかったような場面が、SFXの技術を使って再現されていて、本当に銃弾が自分の前に飛んでくるように見えてしまい、家で見ていたにもかかわらず、体が自然に銃弾を避けようと右に左に動いてしまったことを覚えています。

玄関が物語ること
今回この作品を取り上げたのは、残酷極まりない戦闘シーンが続く中、何気ない一場面のように撮られた玄関のシーンがなぜかずっと心に残っていたからです。
戦争映画ならよくある、戦死報告の場面。
遠くから近づいてくる黒塗りの車を、キッチンの窓から見た母親が、玄関へと向かいます。玄関を開け、虫除けの網戸のドアも開けて、ポーチへ出ます。カメラは家の中から外を撮っているので、観客は暗闇から明るい外を見る形になります。
車から降りてきた牧師さんと軍の関係者が、二言三言母親に告げると、お母さんは、ポーチに崩れ落ちます。
腰から、斜めに崩れ落ちてしまうのです。ただそれだけで、その言葉がお母さんにとってどれだけのダメージだったかを物語っています。その描写があまりにリアルで、胸に迫りました。
暗闇の中に浮かぶ光の中の情景、その明るい光の中、絶望に打ちひしがれる母親。
何ともドラマティックな場面で、カメラはあくまでも冷静に、遠くからその情景を捉えます。玄関は、家の外と中をつなぐ場所です。
家族を送り出し、家族を迎え、お客様を最初に家に招き入れる場所でもあります。
喜びも悲しみも、全てここを通って家族の元にやってきます。映画の中で、戦死の報に崩れ落ちたお母さんの後ろ姿は、息子が受けた死の衝撃を、母もまた受けているかのようでした。
最後の希望を届けるために
ライアンを探し出し、母親の待つ家に帰すこと。それが精鋭部隊に与えられた任務でした。4人兄弟のライアンには兄が3人いたのですが、何とその3人とも同じような時期に戦死してしまったのです。お母さんが崩れ落ちるのも無理はありません。1人を失っても辛いのに、一度に3人も失うなんて、その辛さは同じように子を持つ母として、察するに余りあります。
なんでも米軍にはソウル・サバイバー・ポリシーというものがあって、家族の中で兵役による戦死者が出ている場合には、同じように兵役についている他の家族は兵役を免除されるというシステムがあり、それを適用されたライアンが送還されることになったというところが物語の発端になっています。
ノルマンディー上陸作戦は6月6日。映画の中では最も死傷者が多く激戦地だったため、後に『ブラッディ・オマハ』(血まみれのオマハ)と呼ばれたオマハ・ビーチから物語が始まります。
それこそ血みどろのノルマンディー上陸作戦を生き抜いて、連合国軍の上陸への道を開いた精鋭が集められ、まだ返り血も乾いていない状態で任務が告げられます。
任務が言い渡された時に、皆の顔に走る動揺が、彼らの気持ちを雄弁に物語っています。
「俺だって帰りたい。」
でも、誰もが口を閉ざして、黙々と任務につきました。
それまでの場面でも、血みどろになって死んでゆく兵士たちが「ママ!ママ!」と叫ぶ姿が出てきます。
家に帰りたい。早く帰りたい。もう一度会いたい!お母さん!
戦闘が残酷であればあるほど、彼らにとっての家は、すなわちお母さんそのもので、玄関のドアを開けて笑顔で抱きしめてくれる安らぎの場所であったことが伝わってきます。
家へ帰るという旅
この映画を見ていて、家に帰ることができる幸せを、しみじみと思わざるをえませんでした。
普段何気なく玄関を出て、玄関に帰る。玄関の中に残してくる家族に思いを馳せるなんてことは、日常生活の中では滅多にありません。
この映画を見ると、平和が当たり前の日常がどんなに幸せなのかがひしひしと、本当にひしひしと感じられます。生まれた時から戦争がなかった世代がほとんどになった今、戦争は遠い出来事になり、家に帰れることも、当たり前のことになりました。家族が集う食卓や、家の中で彼らの気配を感じることも当たり前、時には鬱陶しく思えることすらあります。時々、こういう映画を見ると、そんな些細なことさえ、かけがえのない大切なものであることを思い知らされます。帰る家があること、待っていてくれる人がいること、安心して暮らせる場所があることが、命を代償にしてまで守りたい時代があったことに、今更ながら気づかされました。
映画の中で、何回か、地獄の中の平安のようなシーンがあります。暗闇の中でつかの間の休息をとる兵士達が、故郷の話をする場面があるのですが、一人の兵士が、看護士だった母親が自分に会うために仕事を必死に片付けて早く帰ってくれたにもかかわらず、寝たふりをしていたことを悔やむ場面があります。「俺に会おうとして、早く帰ってくれたのに、俺は寝たふりをしたんだ・・・・バカだった。俺は本当にバカだった。」失って初めて気づく前に、日々気づき続ける大切さを教えてくれる映画でした。
ドアを抜けて
日本は乾いた気候のヨーロッパなどに比べて、梅雨があったり、湿気が多かったりして家の中の湿度も高くなりがちですが、風が通ってくれると、家中の湿気は防げます。窓を開けるのもいいですが、玄関を開けられると一気に風通しがよくなります。
この映画に出てきたドアの向こうの網戸の虫除け。日本にもあったら良いのにと映画を見ながら思っていた頃、まだそれは一般的ではありませんでした。今ではあちこちで目にすることができます。しかし、自分で取り付ける煩わしさや、サイズが合うかどうかの不安、こういったことは家を建ててくれたメーカーに相談するのが一番かと思います。
玄関を開けることができると、自然の風を入れて涼むこともできます。近年の温暖化で、窓を開けることをためらうのも無理のないことですが、もし、一斉にエアコンを止めて窓や玄関を開けたら、それは思ったよりもずっと涼しいものではないでしょうか?室外機から排出される温風もヒートアイランド現象の一因になっていることはデータを見るまでもなく容易に想像できます。誰かがやってくれるのを待っていては、何も変わりません。思い切って、ドアを開けてみませんか?涼しい風は、エアコンだけではありませんよね。玄関に網戸のドアをつけるだけで、家の中の風通しもきっと良くなるはずです。風水でも、風が家の中を通り抜けることは、全体の気の流れを良くすると言われています。玄関をぬけて、風が通り過ぎ、幸せをつれてくることでしょう。素敵な初夏になりますように。
From e-cooking club
幼馴染のなごみ系凄腕シェフと一緒に、簡単で、健康にも良くて、普段の材料でも作れるプロの味をご紹介しているe-cooking club。
そこから簡単なレシピの一部をみなさまにご紹介して行こうと思います。
レシピは簡単なのですが、プロの技は実際にご参加いただいかないとお伝えできないのが残念なところです。
ちょっとした切り方や盛り付け方などは、ぜひレッスンに参加されて体験してください。
https://www.facebook.com/ecookingclub
「枝豆の変わりおひたし」旬の枝豆をもっと美味しく!
これから夏にかけて旬を迎える枝豆、夏に不足しがちなビタミンをたっぷり含んでいます。
シンプルに塩茹でにしても美味しいのですが、ちょっと一手間かけると、料亭で出てくるような洒落た一品になります。
いつもの枝豆をちょっと美味しくしちゃいましょう。旬の枝豆を使うのもいいのですが、一年中食べられる冷凍枝豆を使ってみました。作り方にはそれほど違いはありませんので、気軽に試してみてください。
材料(4人分)
■八方だし
- 水 1L
- だし昆布 10㎝ 2枚
- 塩 小さじ1.5〜2
- 醤油 少々
■枝豆の変わりおひたし
- 冷凍さや枝豆 400g
- 八方だし 450cc
- 醤油 大さじ2
- みりん 大さじ1
- 鷹の爪 2本
- 八方だしで残った昆布
作り方
【八方だし】
- 鍋に水と昆布を入れ、中火にかける。
- 湧いてきて鍋の中に細かい泡が出始めたら昆布を取り出す。
- 沸騰させないように気をつけながら塩、醤油で味付けをする。
- 味付けをしたら氷水などで冷やしておく。
【枝豆の変わりおひたし】
- 枝豆は冷凍を使う場合、軽く解凍しておく(半分凍っている状態くらい)天然のものを使う場合は茹でておく。
- 八方だしで取り出しておいた昆布を刻んでおく。
- 八方だしに醤油、みりん、鷹の爪を入れ、沸かさない程度に温める。
- 温まったら火を止め、半解凍の枝豆と刻んだ昆布を浸す。
- 時々混ぜながら30分ほどなじませる。
- 食べる前にさっと温めても良いし、しっかり冷やしてから食べても美味しい!
今月をきらめかせる魔法の言葉
juvant aspera probum.(ラテン語)
misfortunes benefit the good man.(英語訳)
不運は良い人間のためになる。(日本語訳)
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という表現があるように、一見不運に見えることも、実は後々その不運を被った人のためになることがあります。
今は不運に見舞われているように見えても、運命は気まぐれです、その不運が後の幸運につながることもあります。やけにならず、その不運を受け入れて頑張るうちに、不運に見えた出来事が自分を鍛えてくれたことに気づく時が来るのかもしれませんね。
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慶応義塾大学文学部人間関係学科人間科学専攻卒業
大手化粧品会社ファッション研究所にて消費者マーケティングレポートの作成、企画営業等を経て大手出版社編集部に中途採用され、編集者として創刊号・2号に携わる。
退社後二人の娘を得て主婦としても14年の研鑽を積み、その間大手英会話教室のホームティーチャーとして5年にわたり3歳から70歳までの方に英語を教える。現在、株式会社LCS代表取締役として、英語をはじめ、お料理教室や起業支援のスペースレンタルなど、生活を楽しんで生きる人を応援中。静岡県磐田市在住。
Webサイト:https://life-cs.co.jp
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